感想
1996年度、いきなり全棋士参加棋戦決勝の番勝負から始まる。絶好調の藤井六段がついに全棋士参加棋戦の決勝という舞台に立った。相手は天才・屋敷伸之七段。準決勝で羽生善治「七冠」を破って決勝に躍り出た。
棋戦決勝だが、全日本プロトーナメントは準タイトル戦というべき扱いで、対局場は東京都「羽澤ガーデン」で行い、藤井六段は和服に身を包んだ。一方屋敷七段はスーツだった。
屋敷七段との対戦成績は過去藤井六段の1勝。藤井猛四段の四間飛車と屋敷六段の天守閣美濃急戦という戦いだった。
本局も藤井六段は四間飛車。屋敷七段は舟囲いの状態で☗3八飛と急戦を匂わせ、☖8二玉を入城したのを見てから天守閣美濃に囲った。序盤から揺さぶりをかけており、藤井六段の研究を警戒していることがうかがえる。『藤井猛全局集 竜王獲得まで』に掲載されている自戦解説では、この時期対穴熊に没頭しており、本局の形の研究は後回しになっていたと言う。確かに「対左美濃藤井システム」が広まって以降、藤井六段の対天守閣美濃戦は激減しており、研究のメインテーマにはなりづらい。屋敷七段の作戦が上手く行っている。
30手目、定跡的には☖6三金が予想されたが、藤井六段の将棋には珍しい☖5四歩だった。

今度は藤井六段が屋敷七段の研究を警戒し変化球を投げた格好だ。☖5四歩には飛車を三段目に浮いてから玉頭に転回する夢がある。
しかし本局は屋敷七段が急戦志向。早速☗3五歩から仕掛けて戦いが始まった。先手の銀が五段目に進出するため振り飛車がやや受けづらそうに見えるが、☖3七歩~☖2八角が藤井六段用意のカウンターであった。屋敷七段は飛車を逃げず☗3四歩~☗7七角で、最も厳しく弱点を突いてくる。このスピード勝負に藤井六段もすぐ☖3七角成と飛車を取ったが、☖1九角成で後手十分だったようだ。
☖3七角成☗同桂に☖3六飛がいかにも味の良い飛車打ちだが、☖3七飛成の瞬間☗5三銀成!という妙手が出た。

取れば☗1五角でゲームセット。☗7七角のラインや3三の地点に目が行くところで5三に目が行くのは明るい。藤井六段は「終わった」と思ったようだが、じっと☖3二飛と耐える。屋敷七段が一本取ったようだが、初の大舞台、藤井六段の心は折れなかった。☗4四角打に☖3三桂!の妙手を返し、最善の頑張りを見せた。

60手目☖6三桂~☖5五歩となると角2枚を封じこめた形だ。見事に急場を凌いだ。

しかし☖4一銀があるためまだゆっくりできない。そこで70手目☖7五歩がまた凄い勝負手。美濃囲いの最弱点とも言える☗7四桂を打たせるので命が懸かっている。

☗8二飛を打たせ、☖7六歩と歩で取りに行った桂馬を王手で☗6五桂と跳ばせ、☖7二銀もボロっと取られ、☖5二金も取られそうで、後手陣は完全に崩壊した。☗7四桂を打たせるというのはそれ程のリスクがある。しかし藤井六段は玉の空中遊泳に懸けた。妙手☗5三銀成を誘発した3七の竜が入玉の要駒となっている。☖6四玉と泳いだところは既に後手が良くなっているようだ。

90手目☖6七とは面白い動き。

玉のすぐそばのと金を逆方向に動かすのはあまり見たことが無い。たいていの場合は玉に近づけて使う方が良いのが棋理というものだ。それを敢えて逆方向に動かすのだからそれ以上のメリットがあると見ている。6七の歩がいなくなれば入玉へのリスクはかなり減るし、☖3七竜の利きも通る。一石二鳥に見えたと金寄りだが、角の利きを止めながら☗7五金の王手角取りを狙う☗8七桂という手があった。☖6七とが緩手だったと言われているようで焦る。
ここで時間いっぱいまで考え、☖5八とと金を取った手が敗着となった。

この手も玉と逆方向に行く手で、先手玉を寄せるより自玉の安全度を図った手だ。しかし☖7八と と相手玉めがけて行けば、☗7八同金と取った後に☖5八角成があるためそれでも入玉を目指すことができた。☗8七桂と打たれる手を見落としており、軽いパニック状態で相手玉/自玉の詰み筋が絡む複雑な変化を読み切るには、残り9分では足りなかった。安全策が良い手にならないことがあるのは将棋の難しいところの一つだ。
藤井六段は入玉を果たしたが味方が少なく防戦一方だ。それでも50手近く粘った。一手でも余裕ができればというところだったが、屋敷七段はそれを許さなかった。何よりつらいのは、先手玉を目指せる形にならないことだ。111手目☗8九金が盤石の一手だった。

165手にて藤井六段投了。持ち時間3時間の将棋ながら、終局時刻は18時48分だった。
中盤の入り口で大きな見落としがあったがそこからの勝負術は目を瞠るものがあった。逆転してから勝ち目前というところで弱気な手を指して敗勢に転げ落ちるのはダメージが大きい。自戦記には「一瞬はっきりあった勝ちを逃したのはこたえた」という回想が残っている。
評価値

これまで棋譜並べをしてきて、このように評価値が端から端に行くのは非常に珍しいと改めて思い知る。大激戦であった。
参考文献
- 藤井猛著『藤井猛全局集 竜王獲得まで』(日本将棋連盟発行/マイナビ出版販売)
- 『近代将棋』1996年6月号
棋戦情報
第14回全日本プロトーナメント(主催:朝日新聞社、日本将棋連盟)
2025年6月16日許諾済み