1990/12/27 長岡俊勝三段—藤井猛三段(若駒戦)

感想

長岡俊勝三段はこの翌年に奨励会を退会したが、その後2001年アマ名人戦優勝等、アマチュア将棋界で活躍している。その長岡三段は居飛車党だが、藤井先生も居飛車に構え、今の目で見ると意表の相矢倉となった。藤井三段の時代は「いざというときは居飛車も指せるようにしないと、と思って居飛車、特に当時流行していた矢倉の早囲いも勉強した。」(*2)ということなので、意図して選択した戦型と思われる。

相早囲いながら金を上がっておらず(☗6八金☖4二金)、お互い上部からの攻めに不安な形で開戦した。それにもかかわらず藤井三段が☖3五歩(44手目)と攻めを呼び込むので飛び上がった。瞬く間に早囲い上部の金銀が剥がされ藤井玉は剝き出しに。しかしその玉が☖4三玉!(56手目)と堂々と立ち、顔面受けで飛車を追い払った。その後も際どい攻防が続いたが、☖5五桂(88手目)のところは完全に凌いで後手良しになったと思う。藤井三段の見事な見切りだった。ただし、手駒は蓄えたものの、ほぼ裸の玉の2マス上にと金がいる状態で、攻めの制約は多いし油断もできない。

☗2三角成は命綱のように横利きを通している飛車と金の両取りでヒヤッとしたが、☖6七歩成が味のある手筋で馬を引かせて悠々☖9二飛と反対方向に避難したのが上手いと思った。

いよいよ攻めの手番が回ってきた藤井三段、攻めの制約を見切りつつ、☖5七銀~☖5八銀打と「がじがじ流」の攻めを繰り出し寄せに入った。途中☗7四飛(125手目)の両取りの手に☖7三桂(馬取り)という切り返しがカッコ良かった。

本局は非常に薄い玉型で顔面受けを駆使して凌ぎ切った非常にスリリングな将棋。攻められていても藤井三段が常に主導権を握っているようだった。大変面白く、お気に入りの将棋。

評価値

評価値(Suisho5(20211123)-YaneuraOu-v7.6.1/1手20秒)

序中盤、玉が薄いながらもほぼ互角の形勢だったようで、藤井三段の見切りが光っている。ただ☖5五桂(88手目)のところもまだ互角だった。一気に形勢が離れたのは☖5七銀~☖5八銀打とがじがじしたところで、この辺りのごちゃごちゃしたところを競り勝ったということだろう。

参考文献

  1. 藤井猛著『藤井猛全局集 竜王獲得まで』(日本将棋連盟発行/マイナビ出版販売)
  2. 藤井猛『ぼくはこうして強くなった』(『将棋世界』2014年9~11月号・日本将棋連盟発行/マイナビ出版販売)※『藤井猛全局集 竜王獲得まで』にも掲載されている

棋戦情報

第13回若駒戦(主催:大阪新聞)