感想
佐藤康光竜王との戦い。佐藤康光竜王とはこれが初手合い。タイトルホルダーと公式戦を戦うのも初だ。
本局は自戦解説掲載局。1994年度からは対左美濃藤井システムの進化を示す重要な対局が増え、自戦解説掲載頻度が高くなっている。
戦型は藤井五段の四間飛車に佐藤康光竜王の天守閣美濃で、袖飛車急戦の変化。この形は畠山鎮四段戦(1993/1/19・順位戦)で☖4五歩と突いて敗れ昇級戦線から脱落したことに端を発し、藤井五段の研究が深まっていく。
次に袖飛車急戦が現れたのが室岡克彦六段戦(1993/11/29・竜王戦)で、改良手☖6三金が示された。☖6三金に室岡六段が☗6六歩としたため持久戦に移行したが、この時には既に本局の構想を秘めていたそうだ。
そして本局。佐藤康光竜王は妥協することなく、☖6三金に☗3五歩と仕掛けてきた。それに対し、34手目☖8三銀が進化の一手。
次に☖8二飛からの玉頭攻めを見せる画期的な構想だ。
この構想は袖飛車急戦に対する重要な定跡として対左美濃藤井システムに組み込まれており、『藤井システム』(毎日コミュニケーションズ)、『居飛車穴熊撃破 ―必殺藤井システム―』(日本将棋連盟)、『四間飛車の急所 第1巻』(浅川書房)で手順が詳説、またはこの将棋に触れられている。
そもそも玉頭攻めを狙う☖7一玉型は堅いとは言えない。この玉形に対して袖飛車からの急戦が有効であると言われていた。『藤井システム』には☖6三金としなかった場合の展開ついても詳細に解説されている。確かに袖飛車急戦は強力な作戦であることは間違いない。しかし☖6三金からの構想は袖飛車急戦の有効性を覆した。非常に意義の大きい定跡であり、これを組み上げた藤井五段は偉大と言うほかない。その藤井五段も『藤井猛全局集 竜王獲得まで』の自戦解説で、『振り飛車党宣言!④四間飛車対左美濃』(毎日コミュニケーションズ)で小倉五段が参考図として載せた図や林葉直子さんの将棋にヒントを得たと記している。
本譜は☖8三銀に佐藤竜王が☗6六銀と玉頭をケアしたため☖8二飛と回る将棋ではなくなった。☖8二飛が初めて実戦で現れたのは藤井五段の将棋ではなく、☗屋敷伸之七段-☖羽生善治竜王戦(1996/3/11)だった。画期的な構想のはずだったが、まさか羽生竜王が先に実戦で指すとは。この驚きについては、佐藤康光九段、藤井猛九段、菅井竜也王位座談会「創造の原動力」で藤井九段自身が語っている。
☖8二飛は水面下に隠れたままになってしまったが、それでも☖6三金~☖8三銀が示されたことで、この将棋が対左美濃藤井システムの進化を語る上で重要な一局となったことは間違いない。
かくして通常の持久戦となった。☖8二飛としなくとも、滑らかに銀冠に移行できるのもこの構想の素晴らしいところの一つ。☖2二飛の形になっているが、自戦解説によると玉頭の厚みを高く評価しているようだ。左辺は穏やかに収めておいて良い。
中盤以降、千日手を避ける佐藤竜王の動きに藤井五段が細やかに対応し、リードしていったように見える。66手目☖5五歩はまさに筋の一手で、☗4七金☖5六歩☗同金☖5五歩☗5七金とした局面は先手の角がまったく使えなくなった。
84手目☖3二飛も印象的な一手。
☗4五桂☖4四銀☗3三歩☖6二飛☗3四飛と結局銀取りに走られるが、☖5五角が余りにも気持ちの良いぴったりの一手で、打たせた☖3三歩も重い。☖3二飛は敢えて☗4五桂から☗3三歩と攻めさせるテクニカルな一手だった。
94手目☖8七桂~☖9九桂成で先手陣は完全に崩壊した。89手目☗7九玉が疑問のようで、☗7八玉だとまだ難しかったようだ。
本局は対左美濃藤井システムの歴史において重要な一局ではあるが、それを抜きにしても竜王相手に終始主導権を握ったまま勝ち切った将棋であり、藤井五段の強さを感じられる一局だった。
評価値
中盤以降は常に後手がよく、先手に振れるようなところはなかった。右肩下がりであり、藤井五段の快勝譜。
参考文献
- 藤井猛著『藤井猛全局集 竜王獲得まで』(日本将棋連盟発行/マイナビ出版販売)
- 小倉久史・杉本昌隆・藤井猛『振り飛車党宣言!④四間飛車対左美濃』(毎日コミュニケーションズ)
- 藤井猛著『藤井システム』(毎日コミュニケーションズ)
- 藤井猛著『居飛車穴熊撃破 ―必殺藤井システム―』(日本将棋連盟)
- 藤井猛著『四間飛車の急所 第1巻』(浅川書房)
棋戦情報
第44期王将戦二次予選(主催:毎日新聞社、スポーツニッポン新聞社、日本将棋連盟)