1991/7/4 富沢幹雄八段—藤井猛四段(王座戦)

感想

富沢キックで有名な富沢幹雄八段との戦い。この時71歳で、50歳差というカードだ。

序盤は藤井の後手四間飛車に富沢八段の急戦模様。富沢八段がどういう形にするかなかなか見えず、急戦ながら緩やかな感じで、藤井四段は高美濃まで組むことになった。それも富沢八段の狙いだったかもしれない。藤井四段の☖4三銀(30手目)を見て、すぐさま富沢八段は☗4五桂(31手目)と富沢キックを発動した。

富沢キックや加藤流棒銀のように先に駒を捨てて飛車を捌こうとする筋はいくつかあるが、振り飛車側としてはそれで悪いとなれば悔しいものがあり、その後どれだけ厳しいカウンターを掛けることができるかということを考える。藤井四段は☖4三銀に48分掛けているので、☖7三桂を入れるかどうかは微妙なところではあるが、富沢キックを覚悟して相当読みを深めていたはずだ。

藤井四段は高美濃を活かし、☖4四角のラインと共に玉頭を攻める勝負に出た。☖9九角成まで進むとなかなか良い勝負に見えたが、富沢八段の☗6八玉~☗5九玉が老獪な玉捌きで玉が遠くなった。後から☖6五桂と打っているため、☖8五桂と跳ねるところは☖6五桂の方が利いていただろうか。そもそも☖4四飛(58手目)が勝負手気味のため、藤井四段も良いと思っていなかったかもしれない。ともかく☗5九玉のところまでくれば、自分でも先手が良くなったように思う。

しかし藤井四段も黙って負けてはいられない。図にも掲載された☖2二香が勝負手。

☗1二竜とよろけさせてかなりポイントを挙げたかと思ったが、数手進んで☗2一竜とされたところはやはり厳しい。富沢八段の冷静な指し回しに唸った。富沢八段は1994年4月1日をもって引退するが、引退前でもこのような好局を残していたことが分かる。

この将棋については、藤井四段が『近代将棋』誌上で「富沢先生にも王座戦の予選で富沢キックをやられてしまいました。この形ならという磨き込んだ戦法を持っていられるようです」と語っていた。今では藤井九段が若手棋士にそう評されるところである。富沢キックは今でも居飛車側の狙いとして残っており、☗3五歩と絡めてむしろ進化して現代に甦っている。富沢八段もまた時代を超える新手を披露してきた棋士だ。藤井四段が負けてしまったが、このカードの棋譜が残ったのを嬉しく思う。

評価値

評価値(Suisho5(20211123)-YaneuraOu-v7.6.1/1手15秒)

概ねイメージ通りの評価値だった。☗5九玉(61手目)のところは2000点を超えており、富沢八段が上手くカウンターをいなしたと言える。しかし☗1二竜のところは700点台にまで縮まっている。☖2九龍ではなく、☖4八竜☗同玉☖2五香とすれば、ということであった。確かに☗6一馬~☗2一竜が厳しかった。しかし先手玉はなかなか寄りそうではなく、2枚飛車と桂馬で攻められるのも厳しいように見える。☖2二香は面白い勝負手に見えたが、この辺りは既に逆転が難しい状況だったかもしれない。

参考文献

  1. 藤井猛著『藤井猛全局集 竜王獲得まで』(日本将棋連盟発行/マイナビ出版販売)
  2. 若手棋士インタビュー 藤井猛四段の巻 一人将棋でつかんだ将棋観(『近代将棋』1991年10月号)

棋戦情報

第40期王座戦一次予選(主催:日本経済新聞社、日本将棋連盟)