感想
ハンマー猛!藤井九段が若いころは「ハンマー猛」という渾名がついていたそうだが、本局も「ハンマー猛」らしい将棋だったのではないだろうか。
藤井四段の先手四間飛車銀冠に泉六段の居飛車穴熊という構図。『藤井猛全局集 竜王獲得まで』の自戦解説編で、本局を「四間飛車が主力戦法となるか試金石となった将棋」と振り返っている。
今でいう「組ませて戦う」形で、藤井四段はこの形での勝率は高かった。銀冠に☗5八銀からさらに左銀をくっつけていく指し方は第12期竜王戦第4局(藤井猛竜王—鈴木大介六段戦)で初めて知った。当時の観戦記でそれは「古い形」と書かれてあって、こうして1991年に藤井四段が指しているのを見て、20年以上経ってようやく「確かに古い形だったんだな」と納得する。そして『振り飛車党宣言!③居飛車穴熊対策編』によると、この銀引きは「藤井流」として紹介されており、藤井四段が指し始めたものだと分かる。
中盤、藤井四段が☗7七桂から積極的に駒を使いにいったのが印象的だが、☗8五桂となればなるほど、捌きやすい形になったように見える。ところが☗7五歩(73手目)が驚愕の落ち着きで印象に残った。☗6四歩と飛車を捌くのではなく、☗8八角と角を使うでもなく、じっと☗7五歩。数手進んで飛車を打ち合ったところは☗9七角が取り残されてやや苦しくなったように見えた。藤井九段も「☗8八角とすべきだった」と振り返っている。
ただ☗1六桂から玉頭を攻める権利を得たのは藤井四段の方で、とにかく喰らいついた。さすがに攻めが細く後手勝ちになっている雰囲気もあったが、4八まで銀を引き付けたことで先手玉に手がつかない。藤井四段の喰らいつきが功を奏し千日手になると思われたが、☖2三銀の形の時を狙って不意に☗1三歩と垂らした。先手から手を変えるのは泉六段も驚いたのではないだろうか。おそらくここから泉六段が間違えてしまったのだと思う。どういう誤算だったかは分からないが、☗1四香と走ることができて切れそうだった攻めに厚みができた。ところが藤井九段は☗1三歩を「勝ちを決めた一手」と振り返っており、対局者の形勢判断は先手良しだったのかもしれない。ここで一気に終局となった。
結局☗9七の角を攻めに働かせることができなかったのは不本意だったと思うが、玉頭のごちゃごちゃでなんとかしてしまった。「ハンマー猛」の将棋だった。
評価値
概ねイメージ通りだった。☖7八飛(82手目)と打ち下ろされたところはほぼ互角だったが、☗1六桂で後手に振れるので、実戦的にも後手が良く、先手が玉頭に戦線拡大したという見方はあながち間違っていないと思う。並べているときは後手が良いと思っていたがそれも間違いではないようで、先手に振れたのも予想通り☖2四銀(140手目)だった。ただ、藤井九段の自戦解説編を読んでいると、実戦的には先手の攻めを振りほどくのは大変だったようだ。
参考文献
- 藤井猛著『藤井猛全局集 竜王獲得まで』(日本将棋連盟発行/マイナビ出版販売)
※自戦解説編第1局掲載局 - 小倉久史・杉本昌隆・藤井猛『振り飛車党宣言!③居飛車穴熊対策編』(毎日コミュニケーションズ)
棋戦情報
第25回早指し選手権戦予選(主催:テレビ東京)