1991/6/6 深浦康市三段—藤井猛四段(若駒戦)

感想

後にバチバチの名勝負を重ねる深浦康市三段との初戦。

藤井四段の四間飛車に深浦三段が天守閣美濃を示した。☖4三銀(24手目)が早く、後に言われる「対左美濃藤井システム」が成熟していく最中の将棋と思われる。そう言えば『藤井システム』(毎日コミュニケーションズ)に書かれた対左美濃藤井システムはいつ頃確立していったのだろうか。終盤の研究手☖8三金で有名な室岡克彦六段—藤井猛五段(棋聖戦)は1994年10月だ。とは言え本譜も6筋の位を取ること、安易に☖8二玉と入玉しないこと等、「対左美濃藤井システム」のエッセンスが感じ取れる。唯一、☖2二飛と利かされたような感じなのが不満だ。

これまで並べた将棋や本局の深浦三段の指し方を見ていると、やはり「振り飛車の玉に負けじととにかく固めるが良し」という空気を感じる。

それでもしっかり仕掛けていくのが藤井四段。ただ本譜は☖9七金(70手目)と打ち込む強手も飛び出したが、深浦三段の受けが頑強で、やや攻めが細くなってしまったように感じた。

しかし☖7二同飛(114手目)で突然☖7五歩から攻める味ができて、世界が一変したように見えた。深浦三段の銀が玉のすぐそばにいるが、受けには飛車、竜、馬が利いており心強い。☖5二歩打(126手目)まで進むと後手玉がかなり遠くなった。先手玉には玉頭から攻める味が残っている。

実際に玉頭から攻めることになり逆転して後手良しになったと思ったが、☖6七銀(132手目)に☗7八金がまた頑強な受けで後手は駒を渡しにくい。☗7七金(137手目)までいくと玉頭を厚くされ今度は先手玉が見えなくなってしまった。

そこから狭いスペースの中で深浦三段は見事に寄せ切った。ようやく玉頭攻めができた辺りはなにか勝ちがあってもおかしくないように見えたため、並べていてなかなか悔しいものがあった。

それにしても藤井四段が攻めて深浦三段が真正面から受ける構図、この時から変わらないのは面白い。

評価値

評価値(Suisho5(20211123)-YaneuraOu-v7.6.1/1手15秒)

☗6六歩(87手目)のところはやや先手良しであり、やはり深浦三段が上手く弾き返していた。☗9三銀(105手目)と打ち込まれたところは1000点以上先手に振れているが、☗4四角(117手目)のところはほぼ互角に戻っている。直後の☖3二桂で再び先手に振れた。並べているときは気付かなかったが、確かに☖3二桂や☖3五歩は後々あまり利いておらず、何か予定変更があったかもしれない。☖8五歩(130手目)は待望の玉頭攻めと思ったが、形勢としては先手良しで逆転に至っていないようだった。仮に☖3二桂や☖3五歩を利かさず☖6二歩☗6五桂☖6四馬とするとほぼ互角のため、☖桂馬を手放してしまったことや☖3五歩で渡してしまった一歩が大きかったのかもしれない。

参考文献

  1. 藤井猛著『藤井猛全局集 竜王獲得まで』(日本将棋連盟発行/マイナビ出版販売)

棋戦情報

第13回若駒戦(主催:大阪新聞)