1993/4/6 屋敷伸之六段—藤井猛四段(新人王戦)

感想

1993年度の始まり。初戦は後々好勝負を繰り広げる屋敷六段との戦い。この頃、既に屋敷六段はタイトル挑戦、奪取等、華々しい実績を積み重ねていた。

戦型は藤井四段の四間飛車。屋敷六段は早めに☖5三銀型にしたものの、その後は藤井四段に先に形を決めてもらって自分の形を決める作戦だったのではないかと思う。藤井四段の☗2八玉を見て☖2四歩とし、屋敷六段は天守閣美濃にした。そして右銀急戦に出た。

天守閣美濃に右銀急戦は今では振り飛車が勝ちやすいとされているが、当時はまだまだ試行錯誤されていた時代。振り飛車の、特に☗3六歩と突いてある美濃囲いは急戦に対しては傷になりやすい。また、7筋の攻防で捌き合った後、天守閣美濃は横から攻められる形に強い。素人には「居飛車の攻めは無理」とは簡単には言えない。だから当時の将棋を並べる価値がある。

急戦に対し、☗2六歩が入っていることが一つのポイント。これが後の玉頭攻めにカウンターとして入るかどうかが重要になる。

中盤の捌き合いはよくある進行で、48手目の局面をどう見るか。

駒割りは後手は香得。玉形は微差で後手が堅いか。先手の主張は手番と後手の歩切れ、そして玉頭攻めの味があること。難解だがやはり玉頭攻めの味があるのが大きいように思う。

50手目、屋敷六段の☖7九角が面白い手。当時はよくある手だったようだが、☖8二角という手の方が主流だったようだ。通常☗3六歩と突いていないため良い手にならないが、この形は意外と受けづらい。☗5七角☖同角成☗同金で若干陣形が乱れた。

そして54手目、☖2五歩という驚愕の一手が飛び出した。

まさか天守閣美濃側から突くことがあるとは!屋敷将棋の天才性が垣間見える。先手からいつ突くかと狙っていたのに後手から突かれるというのは衝撃が大きい。藤井四段はこの手を屋敷新手としている。

しかし藤井四段も負けていない。57分考え、☗8五桂~☗6六角~☗5八銀と絶品の手順を繰り出した。☗5八銀は乱されたと思った☗5七金の形を活かしたもので、非常に味が良い。

後手は☖2五歩と突いたからには☖2六歩と取り込みたいが、☗2四歩の反撃があるため取り込めない。その後☗8一飛成が間に合い、☖2六香には☗2七桂を用意できた。☖2五歩と、それに対する藤井四段の一連の手順は屈指の攻防だと思う。

しかし、78手目☖6六桂は誤算があっただろうか。☗5七銀に☖7七竜が狙いと思ったが、☗6六銀☖7六竜☗7五馬等、露骨に竜を取りに行く手が生じ、そうなれば先手が勝勢と思う。本譜は☗5七銀~☗6六馬ですぐ打った桂馬が取られてしまった。

後でこの将棋の自戦解説が『振り飛車党宣言!④四間飛車対左美濃』に掲載されていると知ったが、☗4七金と寄ってからは☗4八角や☗4八馬と引く手が決め手級であり、☖6六桂はそれを防ぐ苦心の犠打だったようだ。

そこからの藤井四段の勝ち方は盤石。☗4七玉と小部屋に逃げ込んだ形が遠く、その間に小駒で徐々に寄せていった。

本局は屋敷六段の意外な手が何度も飛び出し、それに対する藤井四段の対応が絶品という見応えのある将棋だった。そしてこういう将棋で藤井四段が勝つというのが嬉しい。1993年度は最高のスタートとなった。

評価値

評価値(Suisho5(20211123)-YaneuraOu-v7.6.3/1手15秒)

48手目は評価値的には完全に互角。それにもかかわらず現代でほとんど見ないのは相当振り飛車が勝ちやすいという印象があるということだと思う。驚愕の☖2五歩以降も振り飛車が悪くなっていない。藤井四段の対応はやはり見事だった。大きく先手に振れたのは☖6六桂からだった。

参考文献

  1. 藤井猛著『藤井猛全局集 竜王獲得まで』(日本将棋連盟発行/マイナビ出版販売)
  2. 小倉久史・杉本昌隆・藤井猛『振り飛車党宣言!④四間飛車対左美濃』(毎日コミュニケーションズ)

棋戦情報

第24期新人王戦本戦(主催:赤旗、日本将棋連盟)