1992/2/7 先崎学五段—藤井猛四段(棋王戦)

感想

同世代、先崎学五段との戦い。人情に溢れ、大好きな棋士の一人。

前局は王将戦デビュー局だったが、本局は棋王戦デビュー局だ。

この将棋は戦型こそ「後手四間飛車 対 居飛車穴熊」であるが、22手目の局面、☖3一銀の活用も☖8二玉の入城も後回しにし美濃囲いの桂馬を跳ねた。1991/12/6の野田四段戦(天王戦)も早めに桂馬を跳ねたが、☖3二銀も☖8二玉も入っていた。藤井九段の公式戦史において、ここで初めて居飛車穴熊に対し、☖7一玉型で攻撃的な布陣を展開する将棋が現れたことになる。

ただし、藤井九段の『ぼくはこうして強くなった』にあるように、奨励会の対局において、既に次の図を杉本昌隆三段が指している。

藤井猛三段は、この図を見て杉本三段が以下の仕掛けを考えているのではないかと想像したそうだ。

実際、杉本八段は『振り飛車の可能性—藤井システムとわたし―』において、三段時代から☗3九玉型、そしてその後☗4八玉型!で居飛車穴熊に囲われる前にリードを図る作戦を考えていた。☗3九玉型での仕掛けの原型は1990年頃、杉本昌隆三段が発祥だったと言える。藤井三段はこのとき、この仕掛けを深く研究することは無く、頭の片隅に留めておいた程度だったそうだ。

本譜は藤井四段が頭の片隅にあった図を引っ張り出し、研究し、実戦に出してきたということではないだろうか。藤井猛五段時代の共著『振り飛車党宣言!③居飛車穴熊対策編』によると、22手目の局面は「藤井流最新居飛穴対策」として紹介されている。ただし、当時はすぐ仕掛けるのではなく、☗6六歩を強要して駒組み勝ちを目指す方針だ。速攻作戦はもう少し時代が後。本譜はじっくり囲い合う将棋になった。

囲い合ったところ、藤井四段が銀冠に左銀も参加させ、☖3三桂~☖1三角を狙う得意にしている形。

先崎五段はそんな理想形は許さないと、ここで☗2四歩☖同歩と細かく利かしを入れる。ここからの手順は、ちょっと油断すると振り飛車が捌きに行きたくなってしまうが、そうすると先手も捌けてしまう。お互いにちょっとずつ主張しながら相手に好きなことをさせない。このプロらしい細やかさには美しさを感じる。この辺りの手順は『振り飛車党宣言!③居飛車穴熊対策編』で定跡として解説されている。

先崎五段は今度は左辺から手を作ってきた。藤井四段の対応が完璧に切り返し、後手の銀得が見込めそうになった。ただし先手はその間に穴熊を活かして大暴れすることを狙っている。藤井四段は取れる銀を取らず、暴れさせても良い形かどうか見極めながら、慎重に捌き、そして慎重に攻めを催促した。そうしていよいよ大捌きに出たところは、穴熊も弱体化し藤井四段優勢な局面だと思う。極めて難解な手順が続いたが、藤井四段が絶品の中盤を見せた。

こうした優勢な局面で、☖5一金~☖4一歩と自陣を補強した。これが振り飛車の勝ち味だ。2枚飛車を持たれていてもまったく怖くなくなった。

自陣を補強したことで攻めが細くなっているが、終盤はガジガジ流で喰らいついていけば攻めが切れることはないと分かっている。しかし本当に攻め切れるかどうかは素人には分からず、並べていて当たり前に勝てるようには思えない。そこを実際に勝ち切るので、藤井四段のテクニックや正確な寄せに感動するのだ。序盤から終盤まで藤井四段らしい見事な指し回しだった。

評価値

評価値(Suisho5(20211123)-YaneuraOu-v7.6.3/1手15秒)

先崎五段の無理気味な動きに見事に対応した数字になっていると思う。大捌きのところで後手にハッキリ振れた。

参考文献

  1. 藤井猛著『藤井猛全局集 竜王獲得まで』(日本将棋連盟発行/マイナビ出版販売)
  2. 小倉久史・杉本昌隆・藤井猛『振り飛車党宣言!③居飛車穴熊対策編』(毎日コミュニケーションズ)
  3. 藤井猛『ぼくはこうして強くなった』(『将棋世界』2014年9~11月号・日本将棋連盟発行/マイナビ出版販売)※『藤井猛全局集 竜王獲得まで』にも掲載されている
  4. 杉本昌隆『振り飛車の可能性—藤井システムとわたし』(『将棋世界』2016年5月号・日本将棋連盟発行/マイナビ出版販売)

棋戦情報

第18期棋王戦(主催:共同通信社と観戦記掲載の21新聞社、日本将棋連盟)