1995/12/22 藤井猛六段—井上慶太六段(順位戦)

感想

井上慶太六段戦。井上六段とは初顔合わせ。順位戦成績はここまで藤井六段が3勝3敗、井上六段は6戦全勝できている。

本局は対穴熊藤井システム1号局。『藤井猛全局集 竜王獲得まで』には自戦解説が、『居飛車穴熊撃破 ―必殺藤井システム―』には自戦記が掲載されている。

悔しい敗戦となった11/15の深浦康市五段戦から約5週間。

居飛車穴熊への新機軸となる対抗策を打ち出すべく、藤井六段は「居玉四間飛車」を研究してきた。照準はこの井上慶太六段戦。先後が決まっている上、当時井上六段はほぼ居飛車穴熊しか指さなかったそうだ。

居玉四間飛車のテーマは「穴熊模様の相手に対して、居玉で攻めて有利に出来る」というもの。居飛車穴熊が駒が偏りすぎであること、完成までに手数が掛かり過ぎであることを咎めようとしている。また、ここ数年で対居飛車穴熊や対天守閣美濃で美濃囲いの玉の位置は☖8二玉ではなく☖7一玉で攻めて行く形が発展した。藤井六段は上記テーマを実現するために☖7一玉→☖6二玉として攻めの研究も行ったようだ。しかし☖6二玉でもなかなか上手く行かない。☖8二玉→☖7一玉→☖6二玉とくれば、☖5一玉のまま攻めて行く発想が生まれてもおかしくない。

実際、12/15に久保利明五段が井上慶太六段に居玉四間飛車をぶつけていた。具体的な形は藤井六段の研究とは異なるが、思想としては似たようなものを他の振り飛車党棋士も持っていたことになる。この将棋の前に井上六段が居玉四間飛車をぶつけられたのは藤井六段にとっては悪いニュースであったが、井上六段が上手く対応して勝ったというのは良いニュースであった。井上六段は本局においてますます居飛車穴熊を採用する確率が高まった。

対局場所は関西将棋会館(福島)、水無瀬の間。

藤井六段は早めに☗4六歩~☗3六歩を突いていく。今の目で見れば急戦への対応に不安が残り洗練されていないと言えるが、井上六段は必ず居飛車穴熊を指すと決め打ちしてる。

藤井六段の事前想定は☖5四歩を突いた形。しかし井上六段は☖3三角と一直線に居飛車穴熊を目指す。13手目☗1六歩に51分も考えているが、この長考はどうしたら想定局面に持ち込めるかという時間だった。すべてが思い通りに行くはずもない。

一直線穴熊に対する藤井システムは後年開発され、『四間飛車を指しこなす本 第3巻』に☗1七桂から攻めの形を作る形が解説されている。本局では当然そこまでの研究は用意されていない。

☖8五歩☗7七角が入ったことで、☗7八銀と上がって☖1二香に☗6五歩を用意できるようになった。井上六段は☗6四歩からの一歩交換を許さないよう、ついに☖5四歩と突いた。井上六段にとってはなんてことない歩だったと思うが、藤井六段にはありがたい歩だった。

21手目☗3七桂。☗4八玉よりも攻めの形を優先しておりかなり怪しい雰囲気が漂っている。井上六段も何かを察知したか昼食休憩を挟んで35分熟考し、そして☖1二香を敢行した。穴熊に組める、あるいは速攻を仕掛けられても対応できると踏んだ。井上六段の自信が感じられる。

「居玉での仕掛けが上手く行くはずがない」という先入観や、実際1週間前の井上六段久保五段戦で上手く対応できた経験も関係していたと思う。今でも、例えばこちらが美濃囲いで、相手が居玉で攻め込んできたとしても、まずは何も考えずともこちらが有利になると考える。この将棋も、穴熊は完成していないが居玉と2二玉では2二玉の方が有利になると思ってしまう。それが将棋における常識だ。

その常識を破ったのが27手目☗3五歩だった。

鎌倉にある円覚寺の茶屋で一服中にひらめいたという一手。取れる歩を取らずに突き捨てる見えづらい手。この突き捨ては藤井システムにおいて多くの変化で鍵となる。☖3三歩と打てない、☗3四香や☗3四桂という筋が生じる等様々なメリットがある。

29手目☗2五桂まで行くと既に振り飛車快調。居玉四間飛車で大きな戦果を挙げたのだ。先に例としてあげた美濃囲い対居玉との違いは、☖2二玉が戦地ど真ん中いることと☗7七角の射程にいること。☗5一玉より☖2二玉の方が危険なのだ。とは言え居玉が薄いことには違いなく、最終盤まで気は抜けない。

30手目☖4四角はひねった受け方で既に非常手段気味。ただし☖2四歩から桂馬を取りに行き、角と銀桂の二枚替えにしようという狙いではある。

38手目☖3二桂は粘りの手。代わりに☖6四歩という普通の手では☗4四角☖3三銀☗同角成☖同桂☗6六角☖8二飛☗3四歩で決まる。この変化は☖2五歩のところで☖6四歩とした場合の変化でもあった。☖3三銀と弾けないのでとにかく☗4四角が強烈なのだ。☖1二香を悪手にしているのが痛快だ。藤井六段は☖3二桂に代えて☖4三金☗6三歩成☖5四飛!という手を気にしていたという。☖3二桂は手にした駒を自陣に打ち付け、なんとしてでも粘る意思が感じられる。

しかしその粘りをあっという間に打ち砕いたのが☗3三歩~☗4五角という鮮やかな手順。決め手になった。☗6三歩成と☗1二角成の両狙いで、☖5四歩は角に当てながら☗6三歩成を防ぐ切り返しの手筋だが☗6六角が飛車に当たった。☖8四飛がどこまでいっても位置が悪い。☖8四飛と☖2二玉の位置関係の悪さを突く筋はよく出てくる。

わずか47手で快勝。プロ同士の将棋ではおよそあり得ない勝ち方をした。この将棋をもって「藤井システム、将棋界を席捲!!」と叫びたいところだが、当時は奇襲的な将棋と見なされそれほど話題にならなかった。他でもない藤井六段自身もまだ一つの戦法になるとまでは考えていなかった。しかしこの勝ち方をしたことによって一つの戦法になる可能性を感じた。この将棋は藤井六段の後の将棋人生を変える一局であった。

藤井六段の凄いところは今後しばらく居玉四間飛車を指さなかったことだ。いたずらに指してこの戦法が消化されないようにした。将棋ソフトのない時代、藤井六段が、藤井六段自身のみで居玉四間飛車を研究していき、対居飛車穴熊のあらゆる変化において穴熊に組まれることなく有利になる、また急戦で来られても対応できる「システム」を構築していった。この「藤井システム」の完成にはおよそ2年半を要することになる。

評価値

評価値(YaneuraOu(tournament128-cl4) NNUE 20240528/tanuki-wcsc34/1手15秒)

参考文献

  1. 藤井猛著『藤井猛全局集 竜王獲得まで』(日本将棋連盟発行/マイナビ出版販売)
  2. 藤井猛著『居飛車穴熊撃破 ―必殺藤井システム―』(日本将棋連盟)
  3. 藤井猛『ぼくはこうして強くなった』(『将棋世界』2014年9~11月号・日本将棋連盟発行/マイナビ出版販売)※『藤井猛全局集 竜王獲得まで』にも掲載されている

棋戦情報

第54期順位戦B級2組(主催:毎日新聞社、日本将棋連盟)