1995/11/15 深浦康市五段—藤井猛六段(銀河戦)

感想

銀河戦Cブロック深浦康市五段戦。

戦型は藤井六段の四間飛車に深浦康市五段の居飛車穴熊。藤井六段は一段玉のまま早めに桂馬を跳ね、☗6六歩を強要する作戦だが、深浦五段は角を飛び出し☖6四の歩を狙った。藤井六段はこれを飛車回りで受けた。

この手は利かされではなくそのまま6筋から攻める構想だったと思うが、藤井六段は『ぼくはこうして強くなった』(『将棋世界』2014年9~11月号・日本将棋連盟発行/マイナビ出版販売)において、「6筋に争点がないのに意味不明。考えすぎの迷走」と悪手認定し、バッサリ斬り捨てている。

この飛車回り、先手番では土佐浩司六段戦(1993/1/28・王将戦)という前例があり、以前からある構想だったと思うが、左銀の活用を後回しにしているところに目新しさを感じる。銀を保留することで☖3二銀か☖4二銀の選択肢が生まれている。このすぐ後に現れる村山聖八段戦(1995/12/11・王位戦)や『四間飛車を指しこなす本 第2巻』を見ると、確かに☗6六歩を突かせてから飛車を回っている。

本局はこの後高美濃に囲ったため、飛車を回った甲斐のない展開になった。深浦五段居飛車穴熊の常套手段である7筋の歩交換をしてきたが、振り飛車はこの飛車すら追い返せなかった。飛車銀交換の駒得になったが、馬を作られ、居飛車は嫌になるほど固い。50手目付近にして既に勝ちづらそうな局面になった。自身で断罪する理由が分かるようだった。

その後なんとか7筋への集中砲火を見せるが、深浦玉はますます固くなっていく。その上玉形の薄さを突かれて攻めにも制約が生まれ、暴れることもできなかった。形も作らせてもらえず、藤井六段は「屈辱的な投了図」と表現した。

単に並べるだけでは非常につらい敗戦だった。しかし藤井六段にとっては、この敗戦が居玉四間飛車(後の対穴熊藤井システム)の完成を目指すきっかけになった。本局は対穴熊藤井システムが初登場する約5週間前。ここまで棋譜を並べてきて、天守閣美濃の流行が対左美濃藤井システムによって終わり、居飛車穴熊が本格的に流行する時代の変わり目であることが分かる。そこでこの敗け方は藤井六段にとって耐えがたい出来事だったということだろう。この敗戦を原動力にしたのが素晴らしい。棋譜並べも最も胸躍る時代に入ってきた。

評価値

評価値(YaneuraOu(tournament128-cl4) NNUE 20240528/tanuki-wcsc34/1手15秒


参考文献

  1. 藤井猛著『藤井猛全局集 竜王獲得まで』(日本将棋連盟発行/マイナビ出版販売)
  2. 藤井猛『ぼくはこうして強くなった』(『将棋世界』2014年9~11月号・日本将棋連盟発行/マイナビ出版販売)※『藤井猛全局集 竜王獲得まで』にも掲載されている

棋戦情報

第4期銀河戦Cブロック(主催:サテライトカルチャージャパン)