1991/9/20 真部一男八段—藤井猛四段(王位戦)

感想

真部一男八段との戦い。

『将棋世界』に真部一男九段の『将棋論考』と河口俊彦八段の『新・対局日誌』が連載されていた時代、私はこの2つの連載を楽しみに『将棋世界』を買っていた。この二人の将棋の見方が自分の将棋の見方の元になっている。本局は藤井猛竜王が誕生した『将棋世界』1999年1月号の『将棋論考』に掲載された。サブタイトルは「素直さという素質」。

 私が見ても上位で活躍している若手は素直さという素質を持っているようだ。
 それに加えて頑固さというか、俺はこう考えるんだ、という強い意志的な面も持っている。
 羽生、佐藤康、郷田、そして今回、新竜王となった藤井にもそれは当てはまっていると思う。ひた向きな頑固さが藤井流を編み出し、その流儀にかける信念と信頼が、あの落ち着きを生み、谷川の乱れを誘ったのだろう。

真部一男『将棋論考』/『将棋世界』1999年1月号(日本将棋連盟)

本局は真部一男八段の四間飛車に藤井四段の居飛車穴熊。『将棋論考』の中で☗7八銀省略の四間飛車について少し触れている。

☗7八銀省略の四間飛車は誰の創案かしらぬが、古くは関屋七段、瀬戸五段がよく用いていた。私も早いうちから☗7八銀は不急の手ではないかとの考えは持っており、時折指していたが、現在の藤井流とは発想がまるで違う。

真部一男『将棋論考』/『将棋世界』1999年1月号(日本将棋連盟)

当時の藤井流四間飛車は左銀を早めに上がり☗6七銀型とするのが主流であった。研究は積み重なり、今は左銀を早く上がるにしても保留するにしても、いずれにしても完全に意味を持つようになった。

真部八段は銀冠の左金を☗4七にくっつけずに、☗6九飛~☗4九飛と動きを見せた。

この構想は後に藤井猛四段—高橋道雄九段戦(1994/2/22・王座戦)で藤井四段も用いている。『藤井猛全局集 竜王獲得まで』の自戦解説編の中で藤井九段は「有力と感じて自分も取り入れた」と書いている。素直さという素質。穴熊をこれ以上固めないようにする意味があるようだ。

固めることが難しく、動かせる駒に制限がある藤井四段は☖3二飛~☖3四金!~☖3三桂!と穴熊の金と桂を前線に繰り出す勝負に出た。

良くも悪くも前に出ようとするのが若手らしい。しかしカウンターの☗3五桂(67手目)はさすがに急所に刺さったように見えた。実際に厳しい攻めが次々にヒットし、☗6一飛成(81手目)の局面は先手勝勢に近いと思う。真部八段も「もう済んだ」と思っていたようだ。

ここまで一方的に攻められた藤井四段だったが、それでもここからの反撃は見応えがあった。☖5四角から角を見捨てて手を稼ぎ、☖5七桂成から喰らいついていった。途中に出た真部八段の☗2九金(99手目)が落ち着いた補強。居飛車穴熊が一手受けたところで振り飛車も一手手を入れる。こういう呼吸で自陣補強する手は味わい深いものがある。本来これで受け切りのはずだが、藤井四段のガジガジ流の攻めが執拗で喰いついて離さない。しかし真部八段は最後まで冷静に受け切った。真部八段の指し回しは参考になるところが多かった。

本局は真部八段の構想と反撃が光った一局で途中は大差になったように見えたが、藤井四段が諦めずに喰らいついていったことで並べていて面白かったし、若々しさを感じるところもあった。何より真部八段の構想を後の藤井四段が採用したというエピソードがあるのが良い。

評価値

評価値(Suisho5(20211123)-YaneuraOu-v7.6.1/1手15秒)

先手に振れ始めたのは☖3三桂(62手目)であり、『将棋論考』の中でも「さすがにこの手は無理であった」とされていたが、藤井四段はそれでも何もできないでいるより勝負しに行き、真部八段が上手く対応したという流れだと思う。

参考文献

  1. 藤井猛著『藤井猛全局集 竜王獲得まで』(日本将棋連盟発行/マイナビ出版販売)
  2. 真部一男『将棋論考』/『将棋世界』1999年1月号(日本将棋連盟)

棋戦情報

第33期王位戦予選(主催:新聞三社連合、日本将棋連盟)